シーシャの香りを科学する
――「ピーチ」と「シナモン」の甘さは別物

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ピーチ、グァバ、ダブルアップル。何のことはない、定番のシーシャフレーバーたち。しかし、そもそも香りとは何でしょう。ピーチの香り、グァバの香り、ダブルアップルの香り。畢竟、「香る」とは化学の出来事であり、「香り」は即ち物質ですから、分子の単位まで還元することができます。それを一つずつ拾い出した論文をご紹介します。13点のフレーバーから、計114種の分子を検出。研究チームはさらに、そのうち5種を190℃まで熱してみました。甘い香りは熱でどうなるのか。
鼻の代わりに、機械に嗅がせる
使ったのはSPME、固相マイクロ抽出という手法です。フレーバーを入れた小瓶の、その上の空間に細い繊維を差し込み、上がってきた分子を吸わせて、ガスクロマトグラフ質量分析計にかける。人の鼻がひとまとめに「ピーチ」と呼ぶものを、成分の一覧表へ開いていく作業です。
対象は、エジプト産「Dandash」とUAE産「Al Fakher」のシーシャフレーバー。アップル、グレープ、グァバ、メロン、スイカ、ストロベリー、シナモン、マンゴー、ピーチ、リコリス、そして香料を加えていない「Kas」=いわゆるノンアロマの11種類。アップルとメロンは両メーカーのものを調べたので、点数は合計13になります。比較用の紙巻きたばこ(ロスマンズ)を加え、計14点を3回ずつ。小瓶は50℃で30分温めます。
出てきたのが、計114種の分子でした。114種といっても、構造の似たものを束ねれば13のグループ(エステル類、ケトン類、アルコール類など)に収まります。このなかにはニコチンのように、香料ではない揮発成分も混じっています。機械が数えているのは「香り」ではなく、立ちのぼってきたものすべてです。最も多いのはエステル類で、香り付きフレーバーから出る分子の、平均で38.65%を占めます。果物の甘い香りの主役で、お菓子や飲料の香料としてもおなじみの一群です。
香料を加えていない「Kas」も見ておきます。何も足していないぶん素朴かというと、そうでもない。ピロリジンとは、アンモニアに似た匂いを持つ環状のアミンで、著者が有害と註記している分子です。これが22%を占めます。
ピーチとシナモンは、同じ「甘い」ではない
もっとも、エステル類が首位でない製品も6点あります。両メーカーのアップルと、Al Fakherのリコリス、メロン、マンゴー、ピーチ。これらは別のグループが先頭に立ちます。Al Fakherのピーチはラクトン類が67%。うちγ-デカラクトン——論文が「強いピーチの香り」と註を付けている分子——が51%、γ-ウンデカラクトンが16%。いっぽうAl Fakherのシナモンはケトン類が51%で、その大半にあたる48%がカルボンでした。カルボンはキャラウェイの精油に含まれる分子で、他のどの製品からも出ていません。
13点の中でアルデヒド類がいちばん多いのはDandashのグレープで21%。うちエチルバニリン——合成バニラの香料——が19%です。ぶどうの香りに、バニラが一本立っている。iso-アミルiso-ブチレートとは、洋梨やバナナを思わせる果実香のエステルです。Dandashのスイカでは、これだけで35%を占めました。Al Fakherのマンゴーは芳香族が約47%で、その代表がジフェニルエーテル、論文が「金属的で刺激のある香り」と註記している分子です。
香料の資料をあたると、ピーチとシナモンの甘さは同じものではありません。γ-デカラクトンは桃や杏を思わせるクリーミーな甘さ、カルボンはキャラウェイやスペアミントに近い、温かくて薬草めいた甘さです。同じ棚に並んでいても、ピーチはラクトンで甘さを作り、シナモンはケトンで作る。
論文が「アップル」と呼んでいるもの
一つ、引っかかったことがあります。
論文はアップルの主成分を(E)-アネトール——アニスや八角の、甘くて清涼なあの香りの分子だと書いています。Dandashで58%、Al Fakherで82%。酸素化モノテルペンという一群の、唯一の構成成分として。同じ論文のAl Fakherのリコリスも、93%がアネトールでした。
これは飽くまで田舎のシーシャ屋の感想なのですが。アニスの効いたりんごは「アップル」ではなく「ダブルアップル」のことでは? シーシャ屋は、この二つを明確に区別して棚に並べます。
論文の本文にダブルアップルという語は一度も出てきません。むしろ著者は「アネトールはアップル味のシーシャのマーカーとして広く認識されている」と註記しています。研究の側からすれば、当たり前のことを書いただけ、ということになります。ただ店の棚を見ている側には、アネトール82%はダブルアップルの顔に見える。名前の切り分け方に、業界と論文で少しずれを感じた、ということをここに記しておきます。
190℃で、熱してみる
研究チームは葉0.5gに、熱した炭0.5gを混ぜてバイアルに入れ、190℃のホットプレートに10分置きました。そのあと蒸留水を2ml。吸い込む前の水通しを模したものだそうです。熱したのはグァバ、スイカ、ピーチ、マンゴー、メロンの5種と、比較用の紙巻きたばこ。13点すべてではありません。
190℃には根拠があります。炭で熱される葉は200℃を超えない、という先行研究を引いて選ばれた値です。もっとも著者自身は、この条件を「superheating(過熱)」と呼んでいます。燃焼由来の重い成分まで引き出すための、強めの設定です。
そして、それまで検出されなかった分子が81種あらわれました。ここは論文の言い方をそのまま引きます。その大半は、実際の香料成分ではなくコールタールに由来すると考えられる、と。
コールタールとは、石炭を高温で蒸し焼きにしたときに出る、黒くねばついた液体です。フェノールやナフタレンなど数百種の芳香族化合物の混合物で、それ自体が発がん性物質として扱われます。シーシャの炭は石炭ではありませんが、熱分解で出るタール分の顔ぶれは似ています。論文はこの語をとくに定義しないまま、フェノール類やナフタレンが並んだことをもって「コールタール由来」と読んでいます。
増えたのはフェノール、残ったのはラクトン
そのコールタールという読みは、顔ぶれとも符合します。5種の平均でフェノール類が28%。内訳は27種で、フェノール、クレゾール類、キシレノール類、グアイアコールなど。芳香族は10%で24種、ベンゼンとナフタレンとその誘導体。はっきり増えたのはフェノール類でした(P<0.01)。軽い成分ではありません。フェノール類は著者が細胞毒性を持つ一群として挙げ、ナフタレンとその誘導体は既知の発がん物質です。
では、香りのほうは焼き切れてしまったのか。数字は、そうは言っていません。
190℃のピーチには、γ-デカラクトン12%、その異性体19%、γ-ウンデカラクトン18%を検出。5種の平均でも、エステル類は21%、ラクトン類は13%。ただしそのピーチには、トリデカンが約18%。トリデカンとは、炭素が13個まっすぐつながっただけの炭化水素で、灯油やパラフィンの仲間です。香りらしい香りは、ほとんど持っていません。論文はこれをペンタデカン・ヘキサデカンと並べ、熱分解の側から来た分子として読んでいます。
ただし、この論文の着地点は、香りを愛でる話ではありません。結論は、「シーシャの危険は過小評価されている」。健康上の懸念という点では要注意成分を4つ抱えたメロンが現時点でいちばん分が悪い、とも名指しされています。論文はどちらのメーカーかを書いていませんが、有害と註記された成分が4つ並ぶのは、Dandashのメロンだけです。
私たちが出しているのは、名前ではない
メニューに並んでいるのは、ピーチ、グァバ、ダブルアップル。お客様が選ぶのは、これらのフレーバーの名前です。けれど実際にボウルから香るのは、化合物の配合のほうです。
個人的な意見ですが、「ピーチ」と言われてピーチのフレーバーをそのまま出すのは、三流のすることだと思っています。
ピーチの67%はラクトン、シナモンの半分はケトン、論文が「アップル」と呼ぶものは6割から8割がアニスと同じ分子。これらの分子の名前を覚えて仕事をしているわけではありません。それでも、ピーチに別のフレーバーを重ねて、より本物のピーチへ近づけるすべを、一流のシーシャ屋は持っています。これを技術だとか、腕だとか呼ぶわけです。
190℃での加熱実験で新たに煙に加わった81種の大半がコールタール由来とみられる——ここで、炭の話が出てきました。次回は、その炭そのものを題材にしてみようと思います。
S2はこう読む
- Al Fakherのピーチはラクトン類67%(うちγ-デカラクトン51%)、同じくAl Fakherのシナモンはケトン類51%(うちカルボン48%)。どちらも甘く香りますが、桃や杏のクリーミーな甘さと、キャラウェイの温かい甘さで、質が違います。
- 114種にはニコチンのように、香りを作らない揮発成分も入っています。成分の種類の多さは、香りの豊かさとは別の話です。
- 炭とともに190℃まで熱すると、加熱前には無かった分子が81種。論文はその大半をコールタール由来と見ています。それでもピーチのラクトン類は検出されており、香りの分子と熱分解の分子が同じ煙に同居していました。
- 論文自身の結論は、香りではなく「シーシャの危険は過小評価されている」です。香りの出どころを面白がる読み方と、リスクの読み方は、分けて受け取る必要があります。
正直な注意書き
- 成分の割合(%)を比べた分析で、絶対量の定量ではありません。人が実際に吸い込む量を測ったものでもなく、著者自身が毒性の評価には絶対定量が必要だと述べています。190℃で香りの成分の割合が下がって見えるのも、新たな81種が加わったことによる相対的な変化です。実際に減ったとも、保たれたとも言えません。
- 「コールタール由来と考えられる」は著者の推定です。炭だけのブランクを流したとは書かれていますが、その結果は論文に示されておらず、葉そのものの熱分解による寄与も切り分けられていません。炭と葉のどちらがフェノール類を出したのかは、この論文の設計では確定しません。
- 論文はエステル類が首位でない製品として、アップル(両社)・リコリス・メロン・マンゴー・ピーチの6点を挙げています。いっぽう同じ論文が、Al Fakherのシナモンのケトン類を51%と報告しています。ケトン類が51%ならエステル類は多くても49%にとどまるはずで、この6点にシナモンが入っていないのは、論文の記述どうしが食い違っているものと見られます。
- 「アップル=ダブルアップル」は当店の読みです。論文が記しているのはメーカー名(ダンダッシュ社/アル・ファーヘル社)と「apple」という区分だけで、商品名までは書かれていません。検体がどの商品だったかは論文から特定できず、当店の読みが当たっているかどうかも確かめようがない、というのが正確なところです。なお本文で「グレープ」と書いた検体を、論文は「green grape」と表記しています。日本のシーシャ業界に「グリーングレープ」という呼び方がないため、本記事では「グレープ」と記しました。
- γ-デカラクトンやカルボンの香りの質(桃・杏のクリーミーな甘さ/キャラウェイの温かい甘さ)は、香料原料の一般的な記述に基づくもので、この論文が官能評価を行ったわけではありません。カルボンは鏡像異性体によって印象が変わる分子でもあり、論文はどちらの型かを特定していません。なお同じ検体には、シナモンらしい香りの本体である(E)-シンナムアルデヒドも14%含まれています。
- 香料を加えていない「Kas」は、エジプトのダンダッシュ社の製品として論文に記載がありますが、日本では流通しておらず、論文以外に情報を確認できませんでした。
- 190℃の実験は、実際の卓上とは条件が違います。店ではアルミホイルやヒートマネジメントデバイスを挟んで炭を載せますが、この実験では炭と葉を混ぜて密閉しています。対照の紙巻きたばこも同じ190℃で扱われており、実際に吸うときの温度とは異なります。また50℃の条件と190℃の条件は、温度だけでなく炭の有無も異なります(方法欄では50℃の手順に炭は出てきません。ただし図2の説明文には50℃でも炭とともに温めたと読める記述があり、しかも図2は10分、方法欄は30分と時間も食い違っています)。
- 論文は加熱時に加えた蒸留水2mlを「吸い込む前に煙が水を通ることを模した」と説明していますが、実際の操作は加熱後のバイアルに水を注ぐもので、煙をボトルの水にくぐらせる工程と同じものではありません。
- この記事は香りの科学を読む楽しみのためのものです。シーシャは「たばこ」であり健康リスクがあります。医療的な助言ではありません。